2013年8月21日水曜日

良いことをするにも勇気がいる。

バスの中で。

ブルサ郊外のCumalkizik村へ行った。
700年前のオットマンスタイルの古い家々が残る小さな村。
歩きまわって、のんびりチャイを飲んで過ごした。

帰りのバスで、カードを機械に通すと残高が足りなかった。
座っていたおばさんが、カードを出して、使えという。

カードと一緒にお金を返そうとしたが、お金は受け取ってもらえなかった。

トルコの街では、市バスやトラム(路面電車)で使えるチャージ式のカードがある。
僕たちはどのくらい使うかわからないので、少しずつチャージしている。
まだ乗れるはずと思っていたのだが足りなかった。(村では場所がわからなくてチャージできず)

まあそんなことは、僕らの勝手な言い訳で、そういうことで人の好意に甘えてはいけないと反省した。

おばさん本当にありがとう。


座っていた僕の前に乗り込んできたおじ(い)さんが立ったので、席を譲ろうと腰を浮かせかけると、
にっこり笑って頬をつままれた。
「俺はまだ席を譲られるほど齢じゃないんだよ」(←想像)とでも言っていたのだろうか。
サングラスをかけていたのでよくわからなかったが、髪の毛と皮膚のかんじではけっこう齢だと思ったんだけどな。

そんなことがあったので、次にまたおじ(い)さんが僕の前に立ったとき、どうしようかと思った。
今回は目が合って「座っていいかな」というかんじだったので、自然と譲ることができた。

バスを降りるとき、肩を叩かれて、笑顔で手を振られた。


トルコでは、市バスや路面電車で、自然と席を譲る若い人が多い。

子供は、だいたいどかされる。
小さな子供はお母さんの膝の上に、ある程度以上の子供は立たされる。

そうやって育てられていると、席を譲ることが普通になるのだろうか。

それに、譲られる側もなんというか慣れている。


日本のことを考えてみた。

気持ちはあっても、タイミングを逃すとなかなか席を譲れないという人もいるかもしれない。
良いことをするのも勇気がいる。

さりげなくきっかけをつくってあげたら、嫌な顔せず譲る人も多いんじゃないか、と思う。

まああまり考えず、自然にそういうことができたらいいな。
トルコのバスの中でそんなことを考えた。

**
温泉で。
イェニカプルジャ(新しい温泉)

ブルサは温泉地としても有名らしい。

庶民的といわれた温泉に行ってみた。
入ると、平日の昼間だというのにけっこう人がいる。
腰巻をしたまま温泉に入るのだが、入り口のシャワーを浴びるところで、腰巻がはずれたおじさんがあわてて前を隠して巻きなおしていた。 
大きな円形の浴槽で、ざばざばと泳いでいる若者もいる。
お腹の出たおじさんが、仰向けに浮きながら片手だけでお湯をかいて浴槽のふちに沿って漂っていた。
天井にたくさんあいた穴から光が入って明るい。
見上げて「あ~」と極楽の声を出すと、周りの人に笑われた。
熱いサウナもあったがあまり人はいなかった。


人が多くかなり待つことになると言われ、あかすり今回は見送り。
のぞいてみると、ふんどしの前垂れのようなもので、前と菊を隠して手際よく作業が行われていた。
体の向きを変えるときも、危ない場面は一切なし。流石プロ。
** 

風呂あがりに街をぶらぶらして帰った。

丘の上から見たブルサの街。
市場にいた目つきの悪い子ども。



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