2013年11月27日水曜日

Yamadaはジャマダ。

イグアス居住区では、移住資料館に行ってみたいと思っていた。
しかし、日本人会館に行くと、毎週水曜日の午後しか開かないと言われる。

ペンション園田の園田さんが館長をされていて、頼めば開けてもらえると聞いていたが、
ちょうど僕らが着いた日から、娘さんの誕生日で他の町へ行っていて不在。

そこで、滞在を一日延長して、帰りを待つことにした。
(その間に美味しいものをたくさん食べた)

最終日の夕方に園田さんには会えたのだが、今日はお通夜だと言う。
(イグアス居住区で大豆の不耕起栽培を始めて拡げた方で、園田さん曰く、「広く言えばここの産業構造を変えた」人がなくなったらしい)


大豆不耕起栽培

畑を耕して起こすことなく、前作(ここでは主に小麦を)残渣をそのままに、溝だけ切って、直接種をまく方法。

・土壌流出の防止 
・作業時間短縮 それによって適期に播種ができるようになった。
・適期播種ができることによって収量増加(安定)
・生産費が抑えられる。(使用する機械の種類が減り、使用時間も減るので、耐用年数が延びる)
 

などの利点があるようです。

逆に、問題点としては、
・雑草防除 耕運しないので除草剤を大量に使う。
・病虫害の発生 前作残渣がそのまま畑にあることで、病虫害が発生?

・浅根化 根が深くまで伸びない。
・専用の大型機械が高い。

などでしょうか。

もう少し詳しく知りたい方はこちら↓
パラグアイの日系農業者の発展と大豆栽培
不耕起大豆栽培の根系改善の試み


残念だけど、それはしかたないな、と思っていると、なんとお通夜の後に、案内してくださるとのこと。

他の宿泊者の方といっしょに、夜の9時ごろに戻ってこられた園田さんの車で出かける。

まずは、大豆畑の真ん中で星空鑑賞。
この日は月が明るくて、星はそれほどでもなかったけれど、周り360度高い建物や町の灯りもなくて、すごく低い位置から夜の闇が広がっている。



夜の大豆畑で不耕起栽培のレクチャーを受ける。他の人はあまり興味なかったみたい。


その後、移住史料館に。

日本から来た船の航路や(45日から長い人は3ヶ月もかかった)、来た当初の原生林を切り開く様子、使っていた道具の展示など。


みんな真剣。




過酷な労働、生活環境のなか、病気や怪我、酒におぼれる人、なかには自殺する人もいたそう。

新しい土地に希望を抱いてきて(借金してまでやって来た人も少なくなかったとか)、それが消えてしまったときの気持ちを想うと胸がいっぱいになる。
そして、それでもそこから生きていこうと日々を歩んできた人々の力に感動した。

園田さんありがとうございました。

**
園田さんは、話の途中に、なぞかけとか、ダジャレをかなりの頻度ではさんでくる。
助手席は気が抜けない(Rさんもう少し拾っていきましょうよ)。


開拓で切り出された大きな木の展示を見せて、

「あの木とかけて、タナカ夫婦の絆と解く、その心は」
(・・・)
「とってもカタい」
(・・・そうなんだ。普通に堅い木できるのが大変だったとか言ってくれたらいいのに。僕らの絆ってそんなに固いかなという疑問を持った人もいた様子)


移住後の大変な話をした後に、
「でもね、私は苦労はしたことないの。わかる?」

(一同、顔を見合わせる)

「八郎だから」

(・・・いい話来るかと思いきやそういうオチ?園田さんの下の名前知りませんでしたよ)


その他、僕らの理解を超えたレベルのものも多数ありました。


最後にもう一つ。

帰り着いて、山田君が降りてゲートを開けてくれたのだが、車のライトに照らされる彼を指差して一言。
「Yamada、ジャマダ」
(スペイン語でYaはジャと発音する)

僕らにはそのくらいのシンプルなのがいいんです。
後でそれを聞いて怒っていた山田君には悪いけど、たまに思い出して笑ってしまいます。
(これはその時の状況と、山田君のキャラにもよるのだけれど)
**



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