どうも!
相変わらず皿飯食べてる田中(妻)です。
リアルタイムはマレーシア・クアラルンプールです!
*******
さて、バッタンバンでのんびりした私たちは、次はどこへ行こうか考えました。
最初の予定では、カンボジアでゆっくりして7月中旬くらいにタイに戻ってトルコへゆこうと思ってました。
が、ちょっと気が変わって「こうなったらマレーシアまで行っちゃう?」ということに。
なので一路タイへ戻ることにする。
バッタンバンを12:30に出るバスでポイペト(Poipet)を目指す。
3時間くらい走ったらそこは国境。
poipetはカジノで有名な町。カジノ好きなタイ人たちもいっぱい来る町だそうで、たしかに大きく立派なカジノ付きホテルが建ち並んでました。
バスを降りて少し歩くと出国ゲート。
あっさりカンボジアを出国したら、そこからまた少し歩くとタイの入国ゲート。
出て、すぐそこからバンコク行きのバスも出ているみたいだったけど、私たちは電車に乗ってバンコクを目指すつもりなので乗らず。
電車の駅がある「アランヤプラテート」(「僻地」という意味)まで歩くかどうしようか迷った。
が、6キロの道をバックパック背負ってゆくのは辛いな・・・ということであっさりトゥクトゥクに。
(3キロまでなら歩く。ほんとはソンテウに乗りたかったのです)
ほかの選択肢も見つけられないし、一晩だからまあいいねと決めた駅近くのゲストハウスは結構な勢いでボロかった。
なのに300B!
くうううううううううううっ。
夕方、アランヤプラテートの町を歩く。
今だけなのかいつもやってるのかわからないけれど、ナイトマーケットがあって家族づれや地元民でにぎやか。
私たちも影絵で使う型をキーホルダーにしたものを買った。
ステージでは地元の人なのかなんなのかわからないけど、次から次へ女性が出てきて歌ったり踊ったり。観客は屋台で買ったものを食べたりしながらまったりとそれを見ている。
そんな中、私は1人のおじさんを見た。
ステージのある会場のすみっこで、ぼろぼろの茶色くくすんだ服を着て、裸足のまっくろなおじさんは手すりに座ってステージを見ていた。
誰にも何も「乞う」わけでもなく。
ただそれだけの光景が、カンボジアを出るときに私にまとわりついてきた子どもたちよりもずっと哀しかった。
キラキラする光の中で、きれいな服を着た人々の中で、その人だけが浮いていた。
あんなに並んだ屋台で何かを買うということもなく、でもにぎやかな音にひかれてきて、しかし皆と同じイスに座ることもなく。
その貧しさよりも、その「孤独」に哀しいと思った。
私は、その日の昼にバス停にいたリアカーを引いたおばあさんのことも思い出した。
おばあさんはよく物乞いしていることが多い印象だったけれど、そのおばあさんは自分でリアカーを引き、みんなの足元に落ちている缶やペットボトルを腰をかがめ、頭を下げて拾い集めていた。
その姿はすごく堂々としていて、ひたすらに「乞う」人々とは違っていた。
みんな「今日」を生きることに一生懸命になっているだけなんだ。
明日も同じ毎日が続くとしても。
うまくはいえないけれど、そして結局はまったく勝手な感情移入に過ぎないけれど、
私はその夜たくさんのことを考えた。
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さて、バッタンバンでのんびりした私たちは、次はどこへ行こうか考えました。
最初の予定では、カンボジアでゆっくりして7月中旬くらいにタイに戻ってトルコへゆこうと思ってました。
が、ちょっと気が変わって「こうなったらマレーシアまで行っちゃう?」ということに。
なので一路タイへ戻ることにする。
バッタンバンを12:30に出るバスでポイペト(Poipet)を目指す。
3時間くらい走ったらそこは国境。
poipetはカジノで有名な町。カジノ好きなタイ人たちもいっぱい来る町だそうで、たしかに大きく立派なカジノ付きホテルが建ち並んでました。
バスを降りて少し歩くと出国ゲート。
あっさりカンボジアを出国したら、そこからまた少し歩くとタイの入国ゲート。
出て、すぐそこからバンコク行きのバスも出ているみたいだったけど、私たちは電車に乗ってバンコクを目指すつもりなので乗らず。
電車の駅がある「アランヤプラテート」(「僻地」という意味)まで歩くかどうしようか迷った。
が、6キロの道をバックパック背負ってゆくのは辛いな・・・ということであっさりトゥクトゥクに。
(3キロまでなら歩く。ほんとはソンテウに乗りたかったのです)
ほかの選択肢も見つけられないし、一晩だからまあいいねと決めた駅近くのゲストハウスは結構な勢いでボロかった。
なのに300B!
くうううううううううううっ。
夕方、アランヤプラテートの町を歩く。
今だけなのかいつもやってるのかわからないけれど、ナイトマーケットがあって家族づれや地元民でにぎやか。
私たちも影絵で使う型をキーホルダーにしたものを買った。
ちっちゃいけど本当にすばらしい影ができます |
そんな中、私は1人のおじさんを見た。
ステージのある会場のすみっこで、ぼろぼろの茶色くくすんだ服を着て、裸足のまっくろなおじさんは手すりに座ってステージを見ていた。
誰にも何も「乞う」わけでもなく。
ただそれだけの光景が、カンボジアを出るときに私にまとわりついてきた子どもたちよりもずっと哀しかった。
キラキラする光の中で、きれいな服を着た人々の中で、その人だけが浮いていた。
あんなに並んだ屋台で何かを買うということもなく、でもにぎやかな音にひかれてきて、しかし皆と同じイスに座ることもなく。
その貧しさよりも、その「孤独」に哀しいと思った。
私は、その日の昼にバス停にいたリアカーを引いたおばあさんのことも思い出した。
おばあさんはよく物乞いしていることが多い印象だったけれど、そのおばあさんは自分でリアカーを引き、みんなの足元に落ちている缶やペットボトルを腰をかがめ、頭を下げて拾い集めていた。
その姿はすごく堂々としていて、ひたすらに「乞う」人々とは違っていた。
みんな「今日」を生きることに一生懸命になっているだけなんだ。
明日も同じ毎日が続くとしても。
うまくはいえないけれど、そして結局はまったく勝手な感情移入に過ぎないけれど、
私はその夜たくさんのことを考えた。
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