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「旅情」という萩原朔太郎の詩が好きだ。
ふらんすへ行きたしと思えども
ふらんすはあまりに遠し
というやつだ。
ゴトゴトと進む各駅停車の汽車の中は、地元の人でいっぱい。
近くの市場へ売りに行く食べ物や野菜などを持ったおばちゃんたちでにぎやか。
田園地帯を汽車は走る。
田んぼで働く農民。
水面には空が映る。
隣の席の笑顔の親子。
子どもが窓の外を指差して、なにか言っている。
「ほら、お父さん、下にも空が見えるよ」
「本当だ。きれいだねえ」
きっとこんな会話をしているんじゃないかな。
車窓を眺めたり、居眠りしたりしているうちに汽車は街に着いた。
*
遅れると聞いていたけれど、バンコクには定刻通り12時過ぎに到着。
駅の窓口に行って聞いてみると、ちょうど13時発のフアヒン行きの急行があり、それに乗ることにした。
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駅弁代わりに買ったパッタイ(タイ風焼きそば)を食べながら、窓の外を眺めていると妻が言った。
「せめては新しき背広を着て
気ままなる旅にいでてみん
って朔太郎先生も言ってるよね。
やっぱり旅に出るときに新しいパンツは必要なんだよ。」
出発前の「パンツをめぐる論争」のことをまだ根に持っていたようだ。
いやいや、行きたいところに行けないかわりに、せめては新しき背広を着て、ってことでしょ。
僕たちは行きたいところに行くんだから、パンツくらい妥協してもいいじゃない。
そんな話で、せっかくのセンチメンタルな僕の旅情が台無しだよ。
通路をひっきりなしに物売りの人が通る。
海は見えなかったけど、反対側の夕焼けがきれい。
汽車が田舎道をゆくとき僕たちはふたり、楽しいことを考えていた。
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汽車は1時間ほど遅れて18時ごろフアヒンに着いた。
今日は1日中列車に揺られていた。
***
亡くなって50年以上経ち著作権的には大丈夫らしいので参考までに載せておきます。
「旅情」 萩原朔太郎
ふらんすへ行きたしと思へども
ふらんすはあまりに遠し
せめては新しき背廣をきて
きままなる旅にいでてみん。
汽車が山道をゆくとき
みづいろの窓によりかかりて
われひとりうれしきことをおもはむ
五月の朝のしののめ
うら若草のもえいづる心まかせに。
***
・情報
アランヤプラテート→バンコク
6時40分発(12時5分着)/もう一便1時55分発があります。
48バーツ(各駅停車)
バンコク→フアヒン
13時発(17時14分着)実際は18時過ぎに着。
94バーツ(急行)/各停は44バーツ?
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それほどまでに、気にかけてもらってパンツもさぞ喜んでいるんじゃないかな。旅は道連れ、パンツは情け…月に吠える。
返信削除うまいこといいますね。ちょうど、今夜は満月です。
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