2013年4月29日月曜日

Mr.ガンガ、Ohネパールよ!(その2)

どうも。
前回からの続きをお送りします、田中(妻)です。


「寒い」といいながら半そでで帽子をかぶる愉快な(?)ガンガ。

彼はすこし日本語ができます。

知っている日本語は、

「じゃがいも」「ゆっくりゆっくり」「はい(相づち)」

そして「はらへった」。

雨の日も歩き続けます。ふう


特に「はい」は会話中頻繁に使っていた。

あまりおしゃべりでないガンガは夫が、

(とうもろこし畑を見つけて)「CORN!」と言っても、

「はい」

以上である。

なんなら「とうもろこしで何を作るんですか?」(英語で)と聞いたときでも、

「はいはい」

である。

質問なのに!

まあ、これはいつもじゃないけど。

ちゃんと会話になるんですよ、たいがいは。

日本語や日本への興味があるガンガに、夫は日本語を教え、

かわりにネパール語を教えてもらいました。

夫「私の名前はガンガです」

ガンガ「ワタシ ノ ナマエハ ガンガデス」

夫「in Nepalie?」

ガンガ「メル ナム ガンガ ホ」

夫「メル ナム タナカ ホ」

そうそう、とうなづくガンガ。という感じで、日々歩いている間も、

山小屋での空き時間も、日本語&ネパール語教室は続きました。

「外国へ行ってみたいけど、お金がない。高い」

「もし、君たちがHelpしてくれたら行けるかもしれないんだけど・・・」と

いうようなことを少なくとも二回は言っていました。

私は、なんといったらいいかわからなかった。

離婚して、子どももなく、独身41歳のガンガ。

21年ガイドをしてきて、日に焼けて真っ黒で、同い年の日本人と比べると

41歳にはちょっと見えない。

山をずっと歩いてきたから、どの村にも友達や知り合いがいる。

そんなベテランガイドの彼が、10も年下の私たちに援助を頼むなんて

嫌だろうに。

どんなに仲良くなったとして、ツーリストはやっぱり豊かな国から来たお客さんで、

旅を終えたらまた、自分の国へ帰っていく。

ネパールの人たちは彼らを迎えては、商売する。

小さい子どもたちは、私たち外国人を見ると、

「sweets!sweets !」と手を差し出す。

戦後の日本人がアメリカ人に「Give me!Chocolate」と言ったように。



山の奥の急な斜面に、腰掛けるように建つ家々。

そんな集落がトレッキングコースにはたくさんあって、1時間も歩けば村にあたり

お茶を飲んだり、水や食べ物や、泊まることもできたりする。

歩いてしか行けない家もたくさんあるのだ。

荷物はロバや馬が運び、 人々は裸足にサンダルで真っ黒な足をして、ひたすら歩く。

一生よその国になんて、へたしたら自分の村からも出ない人だっている。

でも、だからといって「かわいそう」と勝手に同情して、自分の持っているものを

そっくり分けるのが良いことだとも思えない。

まったく勝手な考えだと思うけど、

私は今回の自分の人生が、日本人として うまれて生きているだけで、

ひょっとして次の人生というものがあるならば、

この山々の村の人としてうまれてきたりするのかもしれないと思ったりする。

つまり、どこにうまれて育つかなんて誰にも選べないし、

そしてそれはじつは、大したことではないのかもしれない。

トレッキングを終えて、ガンガに少しのチップと、ピザとコーラをごちそうし、

初日からずっとほしがっていた万歩計(私たちはもうひとつもっていたので)を

プレゼントした。

「もし君たちの友だちがトレッキングしたければ、私に連絡してくれ」と

連絡先も書いてくれた。

無口だけどやさしくて親切で、たまにおもしろいガンガ。

ブログを読んでくれているみなさん、もしネパールでトレッキングしたくなったら、

彼を紹介します、いつでも言ってください!

やっぱり美しいネパールの村





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